一時の想い

一時の想い・・・限定された時間、空間における。
あの時の苦い苦しみや、悩み、それは「考えぬ」ことによることだったと気が付くのはいつごろだったろうか?

苦しさ、苦悩とは何だろうか?
広がりすぎず、限定せず、一歩前提を置いて考えればよかったじゃん、と。
自分には何を欲するのか?それはなぜなのか?それだけが満たされれば良いのか?たくさん欲するものがあって、その優先順位が分からないからなのか、じゃあ、なぜ優先順位をつけられないのか?自分の価値軸が定まっていないから、じゃあ、なんで価値軸を定められないのか、そもそも価値軸とは何か?価値とは何か・・・続いていく。

実際、底が抜けるっちゃあ抜ける。どこまででも掘れるかもしんないし、掘れないかもしれない、繋がるかもしんない。もしかしたら、もう帰れない所まで行くかもしれない。

しかし、もともと帰る場所なんてあったか?
帰る場所って何だ?どこに帰るの?そして、そこに帰るべきなの?帰ればホメオスタシスが満たされるとか、それで満足出来るかどうか。

帰る場所なんて恣意的だ。そう思えれば、自分が「ここが帰る場所」だと思えれば、それでいいし、そんなん作っちゃえばいいじゃん。

創作家は常に「創造」する。
自分が帰る場所を創ると同時に、そこから出発する場を作るために。
時間的に普遍な場所や価値なんてあるのだろうか?
そもそも、必要なのか?
そして、あるとすれば、何なのか?
ずっと、それに添い寝するのがいいのか?悪いのか?
それは文脈によるのか?
どういった文脈なのか?

常に更新されつつある、信念体系。
それは、誰のものでもない。
アナタのものなのだ。
そして、それを直視出来るかどうか。
そして、直視したうえで、どうするかが問題ではないか
そう、そんなことを考えている。