ディズニーランド的不可視性

一昨日、昨日と単発でアルバイト。
久しぶりの肉体労働。
高校を卒業してフラフラしている期間に引越しのバイトをした以来かな。
主に事務所や高級マンション(億単位!)の作業手伝い。

バイト自体はくそつまらないし、結構だらだらする場面もおおくて(手際が非常に悪い!)うんざりすることが多々あったが、体を動かす事はそれなりに心地よい部分もある。

っていうか、久しぶりに筋肉痛になった。
足腰が痛いし、足の裏の筋肉が悲鳴を上げている。

引越しの作業とか、片付けとか現実的なことをやると、自分が普段考えていることの乖離を意識できる。

ああ、やっぱ現実ってつまらないな、とか思ったとおりには人は動いてないし、なんか流れに動員されちゃうなってやつで、アタマは所詮クライアントやしきっているやつってことで、いかに権力や中央集権的スキームが社会では幅を利かせているのかってことは良く分かる。

現場はひどい。ロジスティクスの現場は理論どうりなんて、とてもじゃないがお遊戯に感じてしまう。
とりあえず手と足を伸ばさねばならない。実際に動かなければならない。ボーッとしてても現実は何もかわらないのだ。
しかし、もう少し各々がロジスティクスのソフトウェアを内面化したほうがよいのは事実。
それは研修で時間をかけたり、適切なブレーンが現場には必要(体は動かさなくてもいいから)だし、もうちょっと有機的な動作が出来ないものか。
誰かが無作為に動き回るのでなく、適切に必要最小限に動くシステムは作ったほうがいいな、と思う。
それには前準備がかかせないのだ。

それにしても、世の中の表は”きれいすぎる”。
裏はとてつもなく、地味で、そんな表のきれいさを微塵も感じさせない。
こうやって隠蔽が在るのは間違いのない事実なのだろう。