産む機械

柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言。
閣僚にしては口がすべったのは事実でしょう。
悪意などなくても、メディアの俎上に乗ればぐんぐんと本人の意図とは別に言葉が戯れるのは周知の事実。
もちろん公的な発言としてはマズいとは思う。
けれど最近では人間は機械とどう違うのか、という哲学の議論があるし、機械という概念をその人がどのファンクションに依っているかによって、言葉の意味にズレはあると思う。
原理的な機能に着目すれば、人間は哺乳類で生殖動物であるし、その機能によって人を増やし生存をはかってきた。そしてそれは社会のシステムにもおおいに従属してくるのだから、なんとなく機械といった口のすべりの発端は分からないでもない。
機械が揶揄の表現ととれるのか、いや誤解を与えるから悪いのだ、と皆がおっしゃっても、じゃあ誤解が全くない表現なんてありうるのか、と考えていくと、それは明らかではないと思う。
言葉は多面的なものである。数字のマップを主とする数学的議論とは異なって、言葉の定義にはしばしば一般化できないことが多々ある。
しかし、皆が機械をいかに無機的なものにみてるかは、この騒動を見てよく分かった。
人間は機械とどこが違おうか。