そろそろ始動すべき時だ

うんぬんかんぬん引き篭もって早四年。
それなりの知識や知恵はついているはず。
けれど実践となると、とてもじゃないが何も出来ない。

というか、こんなことを書き付けている時点で何も出来ないことの証左である。
自分がやりたいこと、やってみたいこと、思い思い描いていることを実践し実行しているのであれば、こんなところに、こんな事を書く必要はないはずである。

必死に実現するために、出来ることをやっている筈であるから。
無限は手に入れられない。
理想を思い描き、大きなことをやってやろうと思う事も、まあ自由であるが、自分がやれることってもっと身近にたくさんあったりする。
それを1つづつ謙虚にこなす必要がある。

それは無駄だな、と思うことにこそ内包されている事実である
例えば、無味感想な単調な訓練や基礎学習など、それがメインではまずいが毎日毎日地味に繰り返し、それプラス自分が研究したいことなどをこつこつと埋めていく。

それをやるのに必要な訓練も、想定してないことがたくさんあるはずである。
おそらく天才というのは、そういうのを当たり前としてとらえているから、吼えていないんだと思う。

つまり、レトリックがたくみであっても、それは結局は物語つむぎであって、何かを創造したことにはならない。
結局は、ぶれないで禁欲的な態度が基本なのだと思う。

日本人が論理や芸術に弱いのは、やっぱこのあたりの本質的な弱さにあると思う。
とにかく批評や批判ばっかりで、行動がともなっていないのである。