春の息吹

春の芽が吹くには、もう少し時間が必要です。
ようやく、最後の厳しい寒さが辺り一面を覆っています。
ちょっと軽めのジャケットをはおったくらいでは、体が震えてしまう。
凍えてしまうは言い過ぎだろうか、言い過ぎるということでもないかもしれない。

キャンパスを歩いても、もう僕が知っている人はいない。
なぜなんだろう?なんだかんだ言っても、目は誰か僕が知っている人を探しているわけで、確かに話す内容なんて正直無いけれど、だけど話す内容があるから、人と話をしようと思うわけでもないんだなぁ。
自分はとても感じやすい、感染しやすい。ある種溶け込むのは快楽なのだろうか?
でも、一年前は嫌だったんだな。だから避けた、壊した、そして一人になった。

正直言えば、恐かったし、もちろん自分が言うべき自我やエゴを持っていなかった。
自分を作ろうとしてなかった。だから自信がなかったのだ。
他人と対等に、カウンターに座って、面と向き合うほどには。
今もそうだし、やはり自信はない。いくらでも見透かされる、恥ずかしい、そして憎しみも覚えるかもしれない。
大学の4年はあっという間ではあるけれど、だいぶ長い時間だったように思う。
そうでなければ、これほどに自分は成長しなかったと思うから。
大学生なんていうのは、自活してなければ本当に自我がなよなよで自意識過剰でどうしようもない。
けれど、ある意味それはピュアであるから。
素朴だから。
それゆえ猪突猛進になれる、純粋に学習能力を涵養出来る。
利ではない。理の追求。
理の追求は得てしてロマン的になりがちで、妄想な、理想主義的な甘さがあるというのは重々分かっている。
けれど、利にはない、純粋な生きるうえでの、僕にとっては大事な駆動源なのである。
ただひたすら、それと向き合う上で、その理想と自分の意思との衝突、せめぎあい、ぎりぎりのところで戦う。
それにやぶれたときは意志薄弱という証左であるし、また動機を補充し、立ち向かう。
僕はこの生き方にとても充実感を覚える。

最後までひっかかってくれた僕の友達よ。
これからの君達の行動に幸多くあれ!と切に願う。