映画三昧

今日は新宿にて三本映画を観ることにしていたので、観ました。
映画ファンにとっては当たり前なのだろうけど、一日に映画を3本観るのは、僕は初めてで御座います。
ちょっとキツいかな・・・とか思ってたけど、途中で睡魔に襲われたりもしたけれど、なんとか完観出来ました。

1本目は、アレクサンドル・ソクーロフ監督、「太陽」。

映画『太陽』オフィシャルブック

映画『太陽』オフィシャルブック


実は僕はかなりの歴史音痴であり、戦前、戦時、戦後の流れをきっちり抑えてたりしてないのだけれど(今から勉強しようと思ってます。)映画では、イッセー尾形演じる、「エンペラー」の苦悩、葛藤、ユニークさを堪能出来ました。
天皇自信は唯の人間ではないか・・・と認識しているが、日本的な伝統、雰囲気の圧力もあったろう、「神」として振舞わなければならなかった。
それは、天皇自身が一番骨身に染みていたことであろう。
また、外交上の適切さを考えると、天皇が神から人へ・・・という流れは自然といえば自然であろう。
映画でも、ちらっと、第三次世界大戦が起こるという表現があったが、下手に手を打っていたらとんでもない結末になる可能性は大であったわけだ。
当時、戦略的な思考の余地が十分なかったことを認めれば、適切で現実的な判断であろうと思う。
映画では、静かな展開の中に、天皇陛下の心情変遷をじっくり感じることが出来て、とても面白かった。

2本目は、今話題の、「時をかける少女」。

時をかける少女 オリジナル・サウンドトラック

時をかける少女 オリジナル・サウンドトラック


アニメーションということで、実写ではすでに放映されている。
こちらは、まず単純に物語展開に感動してしまった。
僕はあまり映画で感動したーっ、とか、涙が出るとかっていうことはないんですが、今回のこの映画に関しては、かなりキてしまった。
少女がタイムリープする(時間を遡る能力)ことが出来るようになる。
その能力の味をしめ、様々な問題に対して、タイムリープすることによって対処していく。
けれど、少女が意図した対処結果には決してならず、意図せざる結果を招くことに気づいていく。
自分が選んだ選択によって実現した未来は、斉一性を担保する。
それは、どうしても初期条件が異なることによって、結果が大幅に変わるという理論のアナロジーどおり、その主体自信が、過去に遡って選択する時の、選択条件が大きく変化しているからである。
時間が経てば、その主体は変化している。
前の自分とは全く違う自分になっている。
故にたとえ時間に抗い、戻るということが可能であっても、決して自分の意図する結果を導くとは限らない。
このような映画の提示は、我々の生活一般にとって、とてもポジティブに作用すると思う。
ほんとに良い映画です。

で、最後の映画は、園子温監督「紀子の食卓」。

これは、ヤバイよ。
映画自体が長くて・・・っていうのもあるが、終わったら多少の徒労感と同時に自分の思考のシステムをかなり揺さぶってくれた映画であった。
現代問題になっている、家族関係を主軸に、「レンタル家族」なるものから、自分、そして他者、そして社会関係一般に対する構造をインパクトのある映像、音、詩的なセリフで提示してみせた。
園監督の映画は、観ると自分の常識を揺さぶってくれる。
特に、自分はどのような立場で自分であるのか、そして、自分と他者はどのようなつながり、関係で保持されているのか、社会全体に関わる、とても大切な事を考えさせてくれる映画でした。

かなり適当な感想ですが、本日はおなかいっぱい。
よくも、こんな映画を作れるな、と素直に感じました。